2013年3月9日土曜日

朝デニ読書

おはようございます

//一言自己紹介//
サボテンの花のイントロ部分が好きです
税理士の大野賢二です

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今朝は暖かい風が吹いてます

東北・北海道方面は大荒れの天気だとか
豪雪で死者も出るくらいですから
なんとも自然の驚異というものはスゴいものです

畏敬の念というのは
死を感じるくらいの経験をすると
人間の儚さといいますか
命のちっぽけさといいますか
地球や宇宙も含めて
感じられるんじゃないかなと
ふと思ったりするんです

書いてたら思いのほか長くなってしまったので
時間に余裕があるときにでも以下お進みください

時泥棒になっちゃいます



実は今までに
ひょっとしたら死んじゃうかも?
という経験が何度かあります

ひん死の状態とか
臨死体験ではなくて
いたって健康な状態のときですけどね

山登りの経験で二度ほど

両方とも夏山のハナシです

一つは八ヶ岳の横岳にいく途中の尾根でした
下界は曇りでそこそこ天気が落ち着いていて
初めての八ヶ岳で意気揚々としてましたので
頂上の方はモロ雲がかかっていたにもかかわらず
雲海だーとテンション上げながら登って行ったんです

そして森林限界を超えて標高2600m過ぎた尾根にでたら
さすがに雲の中ってスゴいんですね
下界の曇りの状態とはまったく違ったんです

八ヶ連峰って南北に長くて
東西に平地が広がっていて
なんとなく壁のような区切りっぽいんですよね

その尾根では西から東へ
ものすごい風が吹いてたんです
ビュービューと
でも「吹いてた」
というよりアレは
完全に「大気の移動」ですね
空気が西から東へ移動してるんです
人の流れならぬ空気の流れなんですね

だから立ってても押されるくらいの力なんです
台風の風とはちょっと違うような
風圧は似てますけど
自分としてはちょっと違うと

尾根ですから場所によっては
切り立ってて落ちたらヤバいとことかあるわけで
そういうところを進むとき
初めての経験で慣れてませんから
「コレ、死んじゃうんじゃないか?」って
怖くなって足がすくんじゃいました

臆病と言われればそれまでですけど
初めて、生きてて「死んじゃうかも」って経験でした

ヒヤっとする瞬間はいくつか会っても
その状態にあって死を意識する時間が継続する経験ってなかなか無かったなと

その場に居ると本当に死んじゃいそうな気持ちになってしまいました

無理しないで引き返して
尾根から降りてきたら心底安心したのを覚えてます


もう一つは富士山を登ったときでした
子どもと一緒に登って頂上まで行った後のことです

天気が急変して
雷とヒョウがものすごい天気になり
当時の新聞では90年ぶりくらいの8月に初冠雪を記録したときの
その時に頂上に居た出来事です

須走口から登ったので頂上と言っても
浅間神社の郵便局に行くには半周くらいしないとダメで
でも富士山頂の郵便局で葉書を出す目的を達成したかったので
無茶を覚悟で、子どもを山小屋に非難させて
一人で郵便局方面へ歩いて行きました
頭上やそこかしこで雷鳴が轟いてる時

あー、落雷したら死んじゃうかな?
とちょっと怖くなりました
置いてきた子どもの心配もありましたし

でも、覚悟して行ったので
もし死んじゃったらしょうがないかと
怖いというより、無我夢中になってた記憶があります

それよりもっと大変だったのはその後でした

無事山小屋に戻って
子どもと再会してから
ヒョウがすごい勢いで降ってきて
下山できる状態じゃなくなってしまったので
さらに山小屋の中で待機してたんです

午後3時すぎても雷は落ち着かないし
そろそろ降り始めないと帰れなくなるなぁと思ったので
焦りもあったので下山を覚悟して降り始めました

山小屋の外に出たら
地面はびっしりヒョウで埋まっていて
積雪のようでした
まあ数センチだったでしょうけど

でもそれを観測所から見たら冠雪と見れたのでしょうね

そんな状態を子どもと二人で
あくせく下って行きました
勿論まだ雷は鳴り続けてました

そしたら子どもがあまりの寒さと披露で
歩けなくなってしまって
ガチガチ歯を鳴らすくらいでした

そんな時、父ちゃんは火事場のクソ力でるんですね
ザックを背負ってますから
子どもを肩車して
フラフラの足で下山し始めました

標高が下がって2900mくらいになると
雲を抜けたのか天気も落ち着いて
風も緩んできましたし
気温もやや上がってきたような感じでした

というより、標高が下がったので気温差が戻るのは当たり前なんですけどね

その時は、もうホントに下山しなきゃって頭で
冷静な判断できなかったんでしょうね
躍起になるってああいう事なんだなと

震災の時もそうでしたが
人間は有事になるとパニック状態になるって言いますけど
ちょっと経験した感じでした

あえて冷静になろうとする働きがあるみたいですね
ヤバい状態なのにヤバくないと勘違いするというか
あえて冷静を保つようになるみたいですけど
実はその場に適応した行動が出来てなかったりするんですね

そんなこんなで
自分もやや落ち着きを取り戻して
ザックの中にカップラーメンがあったのを思い出して
体を温めるためにお湯を沸かして食べ始めて
そしたら
子ども元気になってなんとか無事下山が出来ました

5合目に付いたときは真っ暗の8時過ぎでした

あのときは本当に
自分も子どもも死んじゃうんじゃないかと
心底思いましたね

今でも無茶しちゃった経験です
当時子どもは小学校一年せいでした
五年になった今でもある程度覚えているようですが
忘れかけてるみたいです

そしてオマケに
この日はそのまま帰るつもりだったので
車に乗ると子どももすぐ寝ちゃったし
どっかで寝て帰るのも面倒に思ったので
運転して帰って行きました

途中までは順調だったのですけど
一時間くらい運転したら一気に疲れが出てきて
何回か居眠りしたんじゃないか?
と思うような状態になったので

さすがにヤバい

と思い途中のSAで仮眠しました
少し休んで大丈夫だと思ってもまたダメで

もう一回SAで仮眠しました

居眠り運転なんてしないだろうと思っていましたが
限界になってると
無意識にしちゃうもんなんですね
今思うとアレ
本当に怖いことしてたなと
死を感じる経験でした


話しが長いな・・・

そろそろまとめたい(笑)


いずれの経験にしてもそうですが

命を大切にって言われますし
勿論粗末になんてするつもりは
サラサラ無いにもかかわらず

死というものが
如何に隣り合わせかって事ですね

陽明学でも
生と死はもともとヒトツ
と勉強していてより理解が深まっているわけですけど

生まれた瞬間から死に向かっているってのも当たり前ですし

ちっちゃい虫など指の先でピッと潰しちゃうだけで
簡単に命がなくなっちゃうわけで

なんと言いますか

死について
人間だけが、どこか忌み嫌うモノにしているような
恐れるものというか
怖がるというか

本来それが自然なわけなのに
その自然を受け入れてない感じなのでしょうかね

脳や考え方が都会化してるなんて
養老孟司氏とかも言ってますが
まさにその通りかなと

勿論自分だって未だに死は怖いし
死にたくないなぁと思っているので
偉そうな事は言えないのですけど

ただ
自然に対する畏敬の念というか
偉大さは、有り難いなあと
思えたりしてるつもりなんです

毎度の事じゃありませんが(笑)

という事で
交通事故とか偶発的な事故は別として

死ぬ気というのは他の人より持ち合わせてるのかなぁと

「死にたい」と思う死ぬ気じゃないですよ(汗
勘違いされたら困っちゃいます

だからこそ

こうやって休日の朝から
デニーズでおかわり自由の珈琲飲みながら読書が出来る時間に
生きてる喜びを感じられるわけなんです

と思いふけってみるのでした


ブログに時間かけて
まだ本があまり進んでないですけど(爆)

読んでる本は今回の課題本

「江戸しぐさ」完全理解―「思いやり」に、こんにちは

江戸しぐさ
すごく面白いです

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今日もお読みいただき
ありがとうございました!

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